目次
はじめに
どうも、かとうです。
私は大型バイクでサーキット走行をしていて、一度だけハイサイドによる大きな転倒をしたことがあります。
今回はこのときの私の痛い経験をお話しいたします。
転倒までの状況
走り出しは順調
2017年の春、鈴鹿サーキットのライドオンクラブで走行しているときでした。
車両はカワサキのZX-6Rで、タイヤはブリヂストンRS10を履いていました。
当時はタイヤウォーマーを持っていませんでしたので、走行開始直後は本当に慎重にタイヤを温めて走り出しました。
2枠目の走行中、走り出してから10分程度が経過して、タイヤも十分に温まっている感触がありましたのでペースが乗ってきて、私自身もイケイケになって調子づいていたと思います。
飛んだ瞬間はなすすべもなく
s字コーナーの左カーブから立ち上がるとき、かなり早い段階でアクセルをワイドオープンしてしまいました。
瞬間的に、後輪がズルっと滑る感触がありました。
あ、とおもったときにはもうリカバリーなどする間もなく、ハイサイドを起こしてしまいました。かなり高く放り投げられる感触があり、背中からアスファルトに叩きつけられました。
同時に頭を激しく打ち付けており、脳震盪を起こしてしまって、目の前がほとんど真っ暗になりました。
アイキャッチ画像のヘルメットが、その時着用していたヘルメットで、がっつりと削れているのがわかります。
視界真っ暗ななか、真ん中あたりの視野角10度くらいはかろうじて見えるといったイメージでした。
視野角が大幅に狭まりながらもかろうじて、退避しないといけないという一心でフラフラしながらタイヤバリアのところまで退避しました。
鈴鹿はしっかりとしたサーキットですので、オフィシャルさんがこちらに向かってきます。
しかし私は背中から落下して強く打ったせいで、このとき全く息ができずに立っていることがままならない状態で、タイヤバリアの横で座り込んでしまいました。
動けなくなっている私の状況とコースに残った車両を見て、その走行枠は赤旗中断となりました。(当時同じ枠を走っていた方、本当に申し訳ありません。)
私はそのまま鈴鹿サーキットの救急車で医務室に運ばれました。
(鈴鹿サーキットの救急車というのは町中を走っているようなしっかりしたやつでなくて、ハイエースを白と赤に塗っただけのような簡単なものです。)
転倒後の状況
数字がでてこない….脳震盪って怖い
大きなレースになると医師が医務室に待機していますが、通常の練習走行日は医務室は看護師さんが1名いるだけです。
医務室につく頃には若干脳震盪も回復してきて視野角も戻ってきました。
ただ、看護師さんに受付の書類(これは後日鈴鹿サーキットの共済保険を使うことになった場合にも必須です)を記入するように言われたのですが、脳震盪の影響で数字が全く出てこない…
住所を書こうとしても郵便番号と番地、部屋番号が思い出せない…
さらには自分の年齢を書く欄すら記入ができなく、途方にくれました。
これ一時的なものであってくれと祈りながら、看護師さんに促されるまま、しばらくベッドで横になって休みました。
フラフラだったので記憶がないですが、体の痛みや脳震盪が落ち着くまで2時間位は寝ていたと思います。
このとき背中だけでなく左膝も強くうっていることに気づきましたが幸い骨折はありませんでした。
(ちなみに骨折がないだろうということがわかったら、看護師さんはあとは寝ててください、とちょっと寂しい対応でした。)
だいぶ落ち着いたあと、自分のピットに戻ると、車両は回収車で回収されており、カウルはバキバキ、タンクはベッコリになっている愛車にここで初めて対面します。
この日の鈴鹿サーキットは、午前中は私の走っているライドオンクラブの枠だったのですが、午後は一般公開されていない練習走行枠で、周りのライドオンクラブのメンバーはみんな撤収していました。(このとき私は単独での参加でした。本当に危ない….)
私が医務室から戻ったとき、となりのピットにチームKAGAYAMAのトレーラーがつけられていたのをよく覚えています。加賀山選手は見かけませんでした。
チームKAGAYAMAが走行準備をする横で私は必死でZX-6Rをステップワゴンに積み込み、高速道路を走り、2時間かけて自宅へと帰りました。
このとき、まだまだ脳震盪が完全に回復したと言えない状況で運転をしており、今から考えると非常に危険なことをしたと思います。
単独でサーキットを走りに行くというのはこうしたリスクもあるため、おすすめしません。
家に帰ると、アドレナリンも切れて、全身が痛い。頭も激しく打っているので、心配になってインターネットで色々と調べました。
吐き気や頭痛がしてきたら脳内出血をしている可能性もあり、やばいらしいですが、その点は大丈夫そうでした。
死の恐怖
更に調べていくと、脳震盪はセカンドインパクトが怖いらしい。セカンドインパクトというのは一度脳震盪を起こしたあと、回復しないうちにもう一度脳震盪をおこすとかなりの確率で死んでしまうらしい。
うわ!怖い!
これは当面大人しくしておかなきゃ…と思いつつ、脳震盪の対処法を調べました。
どうやら脳への刺激を減らして(静かな暗くした部屋で横になる)ゆっくりするのが一番らしい。
しかし横になると、頭は痛くないのだが、背中から落ちたときの痛みが激しく感じられてきました。内蔵が激しく揺さぶられ「臓器のつなぎ目がちぎれちゃったりしてるんじゃないかな」とすごく心配になります。
このまま今日眠ったら、明日二度と私は目を覚まさないんじゃないか、という不安を抱えながらその日は眠りにつきました。
翌日も生きていた
翌日、私はちゃんと生きていました!(笑)
頭の脳震盪直後のフワフワした感じも若干良くなり、内臓が痛いのは相変わらずでしたが、翌日にはなんとかZX-6Rをステップワゴンから下ろし、車庫に入れることができました。
その後、左膝の打撲が思ったより酷かったため、病院に行きました。2週間程度は足を引き釣りながら歩く感じでしたが、幸いにも膝、頭ともに後遺症なく回復することができました。
転倒から学んだこと
一人で走りにいかない。(複数人で走りに行くこと)
脳震盪を起こしたあとの撤収や家までの運転、非常に危険だったと思います。結果的に私は大丈夫でしたが、更に危険な事故を起こしてしまう可能性もゼロではなかったと思います。なにかあったときに頼れる人と一緒にサーキットに行くことが大切であると実感しました。
エアバッグを使用すること
当時私はエアバッグを使用していませんでしたが、もしエアバッグを使っていた場合、背中をうって息ができないほどの痛みにはならなかったと思いますし、ネックブレース部分の働きによっては頭をアスファルトに打ち付けるのも多少はマイルドになっていた可能性もあります。
エアバッグをつけていればよかった、と非常に後悔しました。(転倒後すぐに買いました。)
技量を超えたペースで走らないこと
転倒の直接の原因は技量を超えたペースで走ってしまったことですが、これが一番再発防止が難しい…
明らかに古いタイヤを使用していたので滑ったとか、タイヤが温まる前にアクセルをワイドオープンしてしまったとかの理由があれば再発防止も簡単なのですが、イケイケ状態に突入してペースを上げすぎたためのハイサイドは本当に対策が難しいですね。
熱くなってきすぎたらいったんピットレーンを通ったりして、頭をクールダウンさせることが大切かと思います。
まとめ
以上が私の鈴鹿サーキットでの転倒記となります。
その後、バイクの修理代は右側のカウル交換とブレーキ周りの修理で20万円ほどかかりました。
タンクもベッコリと凹んでいたのですが、この凹みは自分でパテ盛り、塗装して修復しました。
みなさんも、遊びで走る限り、けがをしないことが一番大切なことです。
早く走れることよりも転ばないことが一番偉いです。
楽しく安全にバイクライフを満喫しましょう。
ご安全に!